震える魂
魂が動くとき
普段、日常の中で、時代の流れを意識することはあるでしょうか?
流されるままに生きているというのが実感でしょうか。もしくは、そんなこと考えたこともないという方も多いかもしれませんね。
今からは信じられないが、そのときには当たり前で、誰も疑問に思わなかったということ。
例えば、最近では、80年代バブルの頃はどうでしょう。財テクすることは当たり前で、しないことの方がおかしいという空気さえあったのです。
また、古代ローマ時代では、奴隷制度は当たり前で、あのソクラテスでさえそのシステムに疑問を抱くことはなかったと聞きます。
このように時代に流されるという生き方は、自覚することさえ難しく、仕方のないことかもしれませんが、その生き方を超えなければならないときが人生の中では、何度か訪れることがあるように思います。
日常の次元ではなく、人生の次元を生きるとき。
人生の大きな節目を迎え、今までとは全く異なる道にさしかかったとき。
今のままでも生きていけるが、自分の内に大きな衝動のような疼きが生じ、大きなリスクがあったとしても、それまでにしたことのない選択をしてしまったとき。
そんなとき、人は魂が動き、魂に導かれ、新たな閾に突入するのでしょう。
自分の場合、それはいつだったろう?
すぐに思い浮かぶのは、大学4年のときの就職活動のとき。
地方のど田舎で育ち、そのまま地元の高校・大学へと進み、二十歳過ぎまでその土地から出たことはなく、もともと地元志向の強い土地でもあったせいか、最初は自分も地元で就職するんだろうと漠然と考えていました。
当時、学生たちの間で人気のあったのは、損害保険会社とか、商社とか、銀行など、大手で有名ブランドの堅い会社でした。
しかし、そのときぼくは、なぜかファッションの世界に憧れていてアパレル業界を目指したのでした。あんなど田舎だったのに(笑)。当然地元にアパレル企業なんてあるわけもなく、、、。同期でアパレル業界に行くような人はなく、ぼくは突然変異のような存在だったと思います。
人生を取戻す
結果的には、地元を捨て東京の小さなアパレルメーカーに就職しました。
世間の価値観では、誰も見向きもしないような会社だったけど。
自分の中には確かにその道に進みたいという強い衝動があり。
大学からも世間からも誰も評価はしてくれないけれど。
自分の内なる声に従わなければ、一生後悔してしまうという思いが就活中ずっと心の中に響いていました。
”魂が動く”ということは、右も左も分からない、普通だったら絶対選ばない道を選択したり、リスクしかなくて不安でいっぱいだけど、どうやって具現したらいいのか皆目分からないし、、、でも勇気を出してそこに分け入ったとき、思いがけず道がスッと開き、これで良かったんだと、どこか晴れやかでスッキリした気分が訪れる。
あのとき、世間の価値観や常識に従って選択していたら、ぼくの人生はどうなっていたんだろう?ずっと後悔を引きずったまま一生を終えてたのかもしれないと思うと、、、恐怖しかないです。
もし、そんな後悔を抱いている人がいたら、人生を取戻せるチャンスは必ずくる、と言いたいです。そのチャンスが来たときは、時代に流される生き方ではなく、魂を動かして道を選んでください。